「私たち(㊟1)が育ったのは、『お国のために・・・』と言って息子を戦場に送り出すのが家の誉れとされた時代でした。

70年ほど前の日本で軍人さんはヒーローだったのです。

でも、軍人さんになれるのは男だけ…。

子どもをたくさん産んで育てることが女の務めという風潮の中で、男の人と同じように“赤紙(㊟2)”で戦場におもむいたのが日赤看護婦でした。当時のマスコミにも「従軍看護婦」と、もてはやされたものでした。

 

㊟1:共著、散華抄を書き表された武山(旧姓:尾崎)敏枝さんと小田(旧姓:鍋島)美代子さん

㊟2:戦時召集状


サイト制作者より・・・デジタル化された情報から“戦場の臭い”や“蒸し暑さ”は分かりません。ぜひ下のグーグルマップを利用して、看護婦さんたちが20歳の頃に歩いた戦場やジャングルの状況を想像して下さい。

「日本兵が怖かった」というミンダナオのジャングル逃避行の詳細は次の「散華抄」にと「後発隊の記録」にありますが、理解にはそれなりの日本語力が必要ですので保護者の方と一緒に読んでください。


日赤第376救護班要員の氏名と(殉職したと思われる日)

★救護班長2名,甲種救護看護婦20名,書記1名,使丁1名

・松田政治(1945年6月5日

・関口ミエノ(1945年8月15日)

・石岡満子(1945年8月17日)

・木村秀子(1945年11月2日)

・伊勢田貞子(1945年9月20日)

・赤坂艶子(1945年9月19日)

・山本一子(1945年8月13日)

・小林三保子(1945年9月14日)

・奥田かほる(1945年9月15日)

・龍古静江(1945年9月14日)

・片岡公子(1945年9月15日)

・山中こふじ(1945年9月15日)

・筒泉英子(1945年10月16日)

・今出良子(1945年10月10日)

・藤川八重子(1945年10月1日)

・小田美代子(旧姓:鍋島)

・川上サツキ

・武山敏枝(旧姓:尾崎)

・白石椰子(旧姓:斉藤)

・横山澄子(旧姓:贄田)

・奥西澄子

・牧本カツミ

★班員24名中、日赤の同級生が11名で、ほかは内地の各陸軍病院から選り抜きの上級生だった。