「私たち(㊟1)が育ったのは、『お国のために・・・』と言って息子を戦場に送り出すのが家の誉れとされた時代でした。
70年ほど前の日本で軍人さんはヒーローだったのです。
でも、軍人さんになれるのは男だけ…。
子どもをたくさん産んで育てることが女の務めという風潮の中で、男の人と同じように“赤紙(㊟2)”で戦場におもむいたのが日赤看護婦でした。当時のマスコミにも「従軍看護婦」と、もてはやされたものでした。
㊟1:共著、散華抄を書き表された武山(旧姓:尾崎)敏枝さんと小田(旧姓:鍋島)美代子さん
㊟2:戦時召集状